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相手のいない稽古は剣道なのか

剣道雑記5回目となる今回は、適当なタイトルが思い浮かばず(このタイトルもしっくりこないのですが)、本文も今までとは、だいぶ趣きが違う内容のものになりました。本文を書き終えた今でもこれをブログに載せるか否か迷っていますが、剣道が普及すればするほど、考えていかなければならない問題点であるような気がして、載せることに決めました。お読みくださる皆様も私と一緒に解決策をお考えいただき、ご意見を賜われれば幸いです。


最近、とある先生から“目の見えない人でも剣道はできますかねぇ”という相談を受けました。


詳しくお聞きすると、その先生がいつも剣道の指導をしておられるお子さんのお兄さんの話でした。
そのお兄さんの目は、通常の視野と比べると、範囲が狭く、ほんの一部分しか見ることが出来ないとのことでした。
年の頃は高校生、身体は大きいが、目のこともあり運動経験には乏しい。現在も盲学校に通学中であるとのことです。
稽古日には、弟と一緒に稽古場に来て、弟の稽古姿を眺めているようです。


そのお兄さんは、精神的に不安定な年頃なのか、近頃、キレることが度々あるらしく、先生曰く、“剣道と言うよりは素振りを中心に少しやらせたらストレスを発散出来るのではないか”と考えているようでした。


私は、先生に“本人のやる気はどうですか?”と尋ねたら、先生からは“恐怖心があり、始めることには消極的”との返事がありました。


その場では、残念ながら、相談いただいた先生に対して、これといったアドバイスもなにも出来ないまま話を終えましたが、何も助言できない自分にモヤモヤ感が残り、今日に至っています。


あーでもない、こーでもないと思いながら数日間が過ぎましたが、悩んでいるうちに新たな疑問が浮上、今回の記事につながります。


新たな疑問とは、タイトルに書いた「相手のいない稽古は剣道なのか」ということです。タイトルを補足しますが、この事は、剣道で良く聞く「一人稽古」とは意味合いが違います。剣道を習い始めた時から終わる(やめる)まで、「一度も相手と向き合って稽古をやらない」という意味に捉えてください。


剣道の「剣」の字は、諸刃の剣(つるぎ)であり、刀(竹刀)を相手に向けるということは、自分にも相手から刀を向けられているということであり、この恐怖感に打ち勝つ「勇気」、それ以前に無分別に相手に刀を向けることを慎む「知識」と「慈愛」の心、即ち「智仁勇」が柱となって剣道が成り立っています。


私の実体験から現代風にたとえで言えば、初心者のうち、構え、素振り、足捌きなどが非常に上手だったのですが、面を着けさせて打ち込み稽古を始めたとたんに恐怖心を払拭できずに挫折してしまうという例は数多くありました。
また、相手に打たれてはじめて痛みが判るし、手の内の冴えや下手(したて)への手加減なども相手がいればこそ覚えられるものだと思います。


一方、剣道推進派の私ですので、居合道のように仮想の敵をしっかりとイメージさせることが出来れば、相手がなくても剣道は成り立つという気持ちも充分持っています。また、隻腕剣士の活躍や海外では両足の膝下がない選手がいたり、映画の世界かも知れないが座頭市は目が見えませんし、昔は闇稽古も盛んに行われていました。本人のやる気が1番ですが、こうした障害を克服しながら剣道を続けている人は多数います。


結論には到底及びませんが、剣道の普及・発展を願う私としては、障害を抱える剣道人にも色々あり、通常の稽古や試合を一緒に行える方は良い訳ですが、どうしても一線を画さなければならない方にも「剣道の理念」に沿った剣道を始められる方策や剣道から外れない範囲で独自の試合が出来るための規則作りなどを今後模索し、提案することが出来ればと考えています。


最後になりましたが、お兄ちゃんの一件については、私の考えとして、稽古場の端で素振りやタイヤ打ちだけをやらせておくことは、身体が大きいこともあり、ややもすると暴力行為を助長する危険を含むことから反対することに決めました。それならば太鼓やドラムを叩いてストレスを発散させる方法を勧めようと思います。どうしても剣道であるならば、先生が手取り足取り「相手と向き合って」指導することを勧めようと決めました。


第5回「剣道雑記」は、この辺で終了させていただきます。


お読みいただき、ありがとうございました。

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